荒城の月
土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲

1、
春高楼の 花の宴
めぐる盃 かげさして
千代の松が枝 わけいでし
むかしの光 いまいずこ

2、
秋陣営の 霜の色
鳴き行く雁の 数見せて
植うるつるぎに 照りそいし
むかしの光 いまいずこ

3、
今荒城の 夜半の月
かわらぬ光 たがためぞ
垣にのこるは ただかつら
松に歌うは ただ嵐

4、
天上影はかわらねど
栄枯は移る 世の姿
写さんとてか 今もなお
嗚呼荒城の 夜半の月

*高楼=高く構えた建物。ここでは城         *花の宴=花見の宴会
*千代の松ヶ枝=千年も経つ程の古い松の枝                 
*植うるつるぎに照りそいし=突き立てた剣に月光が降りそそいでいた。
剣を地中に突き立て取替えながら(刃こぼれするので)戦っていたが
篭城戦で力尽きた兵士が剣を土に突き立てたまま最後の時を向かえた。

(*この説もありました。攻め寄る敵から城を守るため、         
つるぎを逆さに地中に立て、侵入を防いだ。その剣が照り輝いた)

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会津若松にて・・・・・

春に訪れた会津若松の
鶴が城は桜が咲き乱れていました。
場内で荒城の月碑を見つけました。
 ここは歴史の街です。白虎隊の
悲しい史歴が残されています。
明治元年幕府軍に味方した会津藩は

官軍と戦い、鶴が城に立てこもり
敗れました。白虎隊
(16.7歳の少年達
で作られた)は、飯盛山から鶴が城が
燃え落ちるのを見て、会津藩が
勝つ見込みの無いことを悟り
自害したのでした。

時は過ぎ、十数年後 晩翠は
荒れ果てた鶴が城址を訪ね
歴史の流れの無情さに胸をあつくし、
荒城の月を作詞しました。
滝廉太郎は故郷の竹田の岡城を思い
作曲しました。

←月見魯からの月は美しいそうです。

滝廉太郎は西洋音楽が日本に入ってきた頃
荒城の月・花・秋の月・ピアノ曲”憾み(うらみ)”・荒磯・お正月・等を作曲した。
東京音楽学校卒業後、1901年6月ドイツに留学したが
胸を病み1902年10月帰国故郷の大分で療養していたが
1903年25歳で没した。
1903年の最後の作品ピアノ曲「憾み」は残念に思う気持ち、心のこりと言う意味です。
肺結核であった為に、療養所でのほとんどの作品は焼かれてしまったそうです。
日本の音楽史にもとても残念な事でした。
留学先の教授の記憶にも残っていたという程の逸材であったそうです。
25歳という若さ・・・惜



秋の歌